八鹿酒造株式会社|YATSUSHIKA BREWERY CO.,LTD.
なしか!わ〜るど
Boy's Mind 1950
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ボンネットバス
「ボンネットバス」こそが、正式なバスであり、今の形態のはバスとは認められない時代の話であるが、とにかくバスの運転手さんは、尊敬されていた。まだ自家用車が普及されてない時代だから、車を運転できるというだけで凄いのに、あんな大きなバスを自在に動かすのだから、それだけで偉いとみんなそう思っていた。だから当時の運転手さんは、ちょっと威張っていた。細かいことはバスガールさんがしてくれるので自分は運転に専念してるんだという顔でスマしていた。『オーライ』という言葉も、バスのおかげで覚えたし、運転の真似も三輪車をひっくり返してやっていた。それほど、バスの運転はかっこよく、子供の憧れだったのだ。
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おくど
「おくど」は、ガスが来るまでは当たり前の住宅設備だった。薪をくべる所があり、御飯を炊く釜と、おかずを煮炊きするとこがあって、その横に七輪も置いてあって、様々な料理がそこで出来ていた。ところがある日、突然にガスというものが来て、そのおくどの上に、ガスコンロが置かれるようになってから、バランスがおかしくなった。 その後、電気炊飯器というものも登場し、ついには電気で炊いた御飯を食べるという信じがたい経験をするようになる。その瞬間はじつに文明の味がしたもんだが、やはり、おくどの釜で炊いた御飯の方が、おこげの出来る分だけありがたいと思う。しかし、薪をくべたりする家事労働のきつさを考えると、結論は出ない。
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父のふんどし
「父のふんどし」は、大きくて長くて、かっこいいと思っていた。夏の風呂あがりなどは、ふんどし一丁で飯台の前に座り、団扇をバタバタやりながらビールを飲んだりする姿は、まさに大人の世界であり、憧れていた。そしてそのふんどしは、洗濯されると堂々と物干し竿にかけられていた。風に揺れる白いふんどしがまた、この家には親父がおるぞ!という感じでかっこよかったのである。そしてその横には、ぱあちゃんの赤い腰巻が、横幅広くかけられてあった。腰巻の方はちょっと、かたじけない。という感じだった。それに比べて自分の小さなパンツのなんと情けないことかと思っていた。そしてふんどしの似合う齢になったが、未だにパンツだ。
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