八鹿酒造株式会社|YATSUSHIKA BREWERY CO.,LTD.

なしか!わ〜るど

Boy's Mind 1950


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イメージ画像2検便
「検便」という言葉を聞いただけで、なんであんなに大喜びしていのだろうか。べつに嬉しくもなんともないことなのに、なぜか、興奮していた。それは、みんなが平等に恥ずかしいことをさせられたからだろう。バカゴにとってのウンコなんて友達のようなものだったが、良い子にとってのウンコは、たまらなく嫌なものだったのだろう。それが一緒に学校に持って来なければならない。というシステムが嬉しかったのだ。かわいい女の子のあのランドセルの中にもマッチ箱の中にウンコが入っているんだと思うと、ドキドキした。自分のは、「誰がこげえいっぱい持っちこいち言うたんか!」と叱られるぐらいたっぷり入れて行って、叱られては笑っていた。


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イメージ画像2ラジオ
「ラジオ」は、テレビというものがやって来る以前まで家庭の中で一番エライものだった。野球、大相撲のスポーツ放送をはじめ、歌番組や落語に講談などが放送されていた。『赤胴鈴之助』が子供にとっては一番人気でそして、大相撲だった。人気力士の姿は少年雑誌などで見ていたから知っていた。ラジオの声を聞きながら、ひいきの力士の取組を想像していた。当時のアナウンサーの表現がまたよかった。『潜航艇岩風』とか『大阪太郎胸毛の朝潮』とか『荒法師玉乃海』とか興奮するフレーズに息を飲んだものだ。そんなラジオの世界を愛していたバカゴは、アナウンサーが『お暑うございます』と言うと、扇風機をラジオに向けてあげてたりしていた。


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イメージ画像2ばあちゃんのミシン
「ばあちゃんのミシン」は、いつも忙しく働いていた。昔の服が丈夫でなかったのか、昔の子供が元気過ぎたのかどちらかだと思うが、いつもズボンのどこかが破け、それを修復してくれていた。いわゆるツギアテである。そして、パンツをはじめ、アッパッパーやズロース、かんたん服なども、作ってくれていた。だからよっぼどのよそ行き以外の服は、メイドインばあちゃんだった。いつも、ばあちゃんは同じ顔してミシンをかけてくれていた。時々、調子が悪くなると、ミシン油をさしていた。すると、魔法のようにまたミシンは元気に動き出すのだった。ばあちゃんが死んでもミシンはいつまでも家の中にあった。


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