八鹿酒造株式会社|YATSUSHIKA BREWERY CO.,LTD.

なしか!わ〜るど

Boy's Mind 1950


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イメージ画像2五右衛門風呂
「五右衛門風呂」は、底板との戦いであった。大人と一緒に入る時はその苦労をしないですむが、子供ひとりで入る時はもうそれだけで緊張し、体力を使いきっていた。底板の中心部分に足を乗せ、そろ〜っと、体重を乗せつつ、沈めていくというかなり高度な技を必要としたからだ。もしそこでバランスを崩すと、熱い鉄の縁に触れて火傷をしてしまうからである。どうしてあんな危険なものがあったのだろうか。昔、石川五右衛門という大泥棒が、釜茄での刑になったという話を聞いて、ますます緊張が募ったものだ。それでも、なんだか嬉しかったのは、薪割りをしたり火をおこしたり、薪をくべたりの手続きが、ありがたかったからだろう。


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イメージ画像2バリカン
「バリカン」は、ごく普通に家の中にあるものであった。だから、突然の日曜日の朝などに、自宅の庭で父ちゃんか、母ちやんから頭を刈られるのである。当時の子供のヘアスタイルと言えば、丸狩りか、ぼっちゃん刈りなどで、簡単だった。首に布を巻かれ、バリバリと刈られていくのは、散髪というよりも、庭木の剪定のようであった。手入れのよいバリカンならいいが、錆びてるやつでやられると、髪を引っ張られて、泣く思いをした。それで、文句を言うと、「タダなんじゃけんクジ言わんので!」と叱られた。そして散髪が終わると、真っ青な頭が恥ずかしくて、なんだか知らないけど、とにかく走って遊びに行ったもんだ。もちろん、段々刈りであった。


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イメージ画像2バンド
「バンド」と今でも喜んでしまう人には、お分かりだと思うが、あれはバンドであり、ベルトとは呼ばなかった。服も靴もそうだが当時の子供は自分のサイズよりもはるかに大きいものを身につけていた。その理由は単純である『どうせ大きいなるんじゃけん』この理由だけで、バンドは胴を一周半するぐらいの長さが平均的であった。だから余りがタラリと前に下がっている。不思議と大人のもそうだった。ちょっと太ると穴を釘で開けたりしていた。それが嬉しかったんだが、夏痩せしたりするとまたもとの穴に戻ったりしてがっかりしていた。そんなバンドも、二重にしてパチパチ鳴らして敵を威圧する武器にもなった。ほんとうにバンドは長い友だった。


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